宮島の管絃祭について

行事

管絃祭

管絃祭

平安時代に都では、貴族が池や河川に船を浮かべ、優雅な「管絃の遊び」をしておりました。嚴島神社を造営した平清盛はこの遊びを嚴島神社に移し、神様をお慰めする神事として執り行うようになりました。従って河川でなく瀬戸の海を舞台に雄大に繰り広げられるダイナミックな平安絵巻を思わせる海に囲まれた宮島ならではの優雅な祭りとなりました。

日時 旧暦6月17日 ※令和5年は8月3日(木)に執り行われます。
場所 嚴島神社 及び 周辺
予定時刻
発輦祭[はつれんさい]
・・・ 16:00
御本殿出御
・・・ 17:00
大鳥居前の儀
・・・ 17:40
火立岩[ほたていわ]
・・・ 19:00
地御前神社
・・・ 20:20
長浜神社
・・・ 21:40
大元神社
・・・ 22:30
火焼前[ひたさき]
・・・ 23:10
客神社前
・・・ 23:30
御本殿還御
・・・ 24:00
※潮位の関係により、当初予定から
 約1時間遅れで執り行われます。

管絃祭について

管絃祭は、旧暦6月17日に行われます。
旧暦の6月17日としたのは、海上の神事であるから潮の干満を考慮したからです。上げ潮の高い季節は旧暦の7月・8月頃ですが、そのころは台風の季節にあたるためにこれを避け、しかも大潮ということになると旧歴の6月になります。

管絃祭

夕方、日が傾く頃に出御して夜半に還御となると17日ということになり、この頃は夜になってほぼ満月に近い月が昇り、瀬戸の海を明るく照らします。絶好の条件が整うわけです。
嚴島神社の御祭神がお乗りになる御座船(管絃船)を造り、対岸にある摂社地御前神社までの海上を、舳先の左右に篝火を焚き、艫[とも]に上げた4個の高張提灯、二十数個の飾り提灯などに灯りを灯し、その灯火を暗い海に映しながら夕刻から深夜に掛けて瀬戸の海を渡っていきます。
御座船は、和船を三艘並べて一艘に船組をしますが、昔は大きな船を一艘使ったようです。この船には櫓が六丁あり自力で航行しておりました。ところが、元禄十四年(1701)に御座船が地御前神社から宮島の長浜神社に帰る途中暴風雨に遭遇し、まさに転覆寸前になりました。その時、風雨を避けて錨を降ろしていた阿賀村の「岡野喜右衛門」の鯛網船と九州からの帰路、嚴島神社に参拝する江波村の「古川屋伝蔵」は勇気ある行動で御座船を救助しました。それ以来、阿賀と江波の両村が御座船を曳航して祭りが行われるようになりました。

管絃祭
 

阿賀の船は鯛網船であったことから現在でも六丁の櫓を用い、江波の船は伝馬船であったから、その形式を残し現在も十四丁の櫂を備えた船を用います。管絃祭の御座船を曳航する名誉ある役目は、現在も広島市の江波にある漕伝馬保存会と呉市の阿賀漁協が引き受けています。
祭典は、午後4時から嚴島神社の本殿で発輦祭[はつれんさい]があり、次に御神体をお乗せした御鳳輦[ごほうれん]を大鳥居沖の御座船にお運びします。御座船では、大鳥居前の儀という神事を執り行った後、管絃を奉奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。途中、火建岩[ほたていわ]沖で一時停船し、潮が高くなるのを待ちます。

管絃祭

潮が満ち、地御前神社前に御座船が入れるようになった頃、地御前神社からの御迎船が来ます。御迎船を水先に地御前神社前に到着した後、浜辺で祭典と管絃が奉奏されます。祭典後、御座船は三匝(三回廻ること)し、宮島の長浜神社に向かいます。長浜神社、大元神社と順次祭典を行い、大鳥居をくぐって、客神社前で祭典と管絃の奉奏がされた後、さらに狭い枡形に入り、一気に御座船を三匝しながら管絃を奉奏します。
このダイナミックな儀式が嚴島神社管絃祭のクライマックスであり、参拝客の興奮した声と拍手は、潮の香りのする廻廊にこだまし、夜空には満月が輝きます。
この儀式が終わると神様は本殿に還御され、真夏の瀬戸の海を舞台に繰り広げられた一大平安絵巻は幕を閉じます。


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