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公開日:2023/10/10 最終更新日:2024/04/07
誓真さんとは、江戸時代に宮島にいらっしゃったお坊さん。
宮島島民の生活を飛躍的に向上させたスーパーヒーローです。
令和時代になった今でも、誓真さんの功績のおかげで宮島が栄えているとも言えます。
私たちが現在、宮島で暮らすことができるのは、誓真さんのおかげであると思う。杓子作りや井戸掘りなど、いかに誓真さんが宮島に貢献したことか、決して忘れることはない。
引用:舩附洋子.厳島新絵図.ザメディアジョン,2011,30p.
それでは、誓真さんとはいったいどんな人だったのか?
この記事では、誓真さんにスポットを当てて解説します。
江戸時代後期、宮島にいらっしゃったお坊さん。
具体的な偉業は、次の項目でご説明いたします。
誓真さんが宮島で成し遂げた偉業は、おもに次の2つです。
です。どちらも、宮島の発展に大きく影響した事柄です。順にご説明いたします!
宮島みやげとして大人気の杓子(しゃもじ)。
なんと宮島杓子を始めて作り、“宮島の定番みやげ”として定着させたのは誓真さんなんです!
宮島杓子は、江戸時代後期、宮島の神泉寺の僧・誓真が考案し、地元島民に作り方を教えたのが始まりと言われている。
引用:宮郷彰通.宮島杓子の本,2015,42p
宮島杓子は品質がバツグンで人気もあったので、なかば“ブランド”として見られ、江戸後期からは県外にも売り出されていたようです。
その人気ぶりを示すエピソードとして、宮島と刻印されたニセモノが出回り、お役所でとりしまりをしていたほどだったとか!
このように、早くも江戸時代には爆発的に広まり、大人気となった宮島杓子。
そして、明治・昭和・平成・令和と時代がうつりかわっても、人々に支持され続けています。
時代 | できごと(杓子関連) |
明治 | 宮島杓子が縁起物として全国的な知名度を獲得! ・大隈重信が演説で大杓子の縁起のよさを称賛 ・日清戦争や日露戦争で「敵を召し取る」縁起物とされる |
昭和 | いっとき、全国的に杓子製品のシェアの大半が宮島製で占められる! |
ご存じのとおり、時代が平成・令和に移り変わっても、いまなお宮島杓子は大人気です。
今でも実用品・縁起物として宮島杓子が人気なのは、誓真さんの存在あってこそ!
なお、誓真さんはもともと手先が器用で、杓子以外にもいろんな木工品を作っています。
誓真さんが手作りした木工品(実物)が宮島歴史民俗資料館でご覧いただけます。ぜひお立ち寄りください。
ところで、誓真さんの活躍ぶりは、“宮島杓子の開発”だけではありません。
“インフラ整備”の分野でも大活躍しています!
誓真さんはみずから托鉢をして資金集めをし、島内の“インフラ整備”を行いました。
誓真さんの生きた時代は天明の大飢饉(1782~1788年)のまっただなかで、宮島の人たちも苦しんでいましたが、こうした“インフラ整備”のおかげで生活が改善に向かったといわれています。
なお、おどろくべきことに、誓真さんが掘った井戸の10カ所のうち、5カ所では200年たった今でも水が湧いています!
誓真さんのインフラ整備の功績は、藩から評価されて銀賞を与えられています。
誓真さんは、宮島の人ならだれもが知るスーパーヒーローです。
おもな功績は、宮島の定番みやげにもなった“宮島杓子の開発”、そして井戸や石段などの“インフラ整備”です。
誓真さんが宮島にいた時代から200年以上がたっていますが、宮島の人たちは「現代の宮島の繁栄は、誓真さんのおかげ」といまでも感謝しています。
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